釣った魚をその場で逃がすリリース、そして食べるために持ち帰るキープ。
どちらが正しいということはありません。そこに正義も悪もないのです。
でも天然の魚は限りある資源。何かしらの基準を持って釣った魚リリースすべきかキープすべきか考える必要があります。それはどのように判断すればいいのでしょうか。
明確な答えは出せませんが、魚のリリースとキープについて考えましょう。
魚のリリースについて意識しよう
天然の魚は有限な資源
人間の漁獲圧によって減った魚
魚は貴重な水産資源であり有限なもの。
途方もなく広い海、どれだけ魚を獲ってもたいした影響はないだろうと思ってしまいがち。
しかしかつてのニシン漁がたどった末路、近年のサンマ漁獲量減少を見ればやはり有限なものなのだと実感します。(気候変動や環境変化、回遊魚の魚種交替という要因も考慮すべきですが)
もちろん釣りで釣れる魚とて例外ではありません。漁船に比べたら釣りの漁獲圧なんてたかが知れてると言われがちですが、多少なりとも資源に影響を与えているという意識を持つ必要があります。
魚を釣って食べるのは悪いことではない
釣りは人間のエゴだけど生きるために必要な手段
この意識をつき詰めていくと、そもそも釣りなんてすべきじゃないという結論に達してしまう。それはそれで一つの答えなのでしょう。どうあがこうが趣味として釣りを楽しむということは人間のエゴだから。
でもわれわれニンゲンは雑食性の動物。魚を含めた栄養バランスの良い食物を食べないと健康に生きていくのが難しい生き物です。動物であれ植物であれ、生き物の命をいただいて繁栄してきました。
釣りに罪悪感を抱く必要はない
どんな形であれ天然の魚を食べているからには直接的あるいは間接的に資源を消費し命を奪っている。養殖魚であってもエサに天然資源を利用していれば同じ。
たとえ回転寿司で食べてもスーパーで買っても同じことで、その場合は見えないところで自分の代わりに誰かが手を下してくれているだけです。それは自分で魚を釣るより回り道しているということ。釣りで魚を得ることはその回り道をショートカットしている状態だといえます。
だから釣りに対して特別に罪悪感を感じる必要はないと考えます。と同時に手を下す責任感が必要です。
魚のリリースについて考えよう
十分ではないにしろ、近年の漁業は水産資源管理に力を入れ始めています。
だから釣り人も同じくそれを意識すべきです。際限なく釣り過ぎてはいけません。資源を無駄にしてはいけません。リリースすべき魚はリリースを。
リリースする魚は何を基準にすればいいのか
あいまいなリリース基準
リリースの基準とは?
よし!リリースすべき魚はリリースしよう。
ここでぶちあたるのが「じゃあそのリリースの基準ってなに?」という問題。
なんとなく共通認識になっているリリース基準
海釣りでなんとなく共通認識されている基準を思いつく限り列挙してみます。
はっきり言って曖昧です。人それぞれ基準に差はあるし、上に書いた内容も釣り人全てが納得するものではないでしょう。
曖昧なルールが存在する
アジやイワシなんかの回遊魚は小さかろうがあんまり神経質にならなくてもいいけど、成長が遅いカサゴやメバルなどの根魚は気を使うべきという共通認識は広く共有されている。でも具体的なサイズや数は曖昧で明確に決まってるわけではない。
抱卵している魚はリリースすべきという考えはあるけど、なぜか青物や鯛は許される。鯛の真子の煮つけは美味い美味いって食べても許される。
公的なルールを基準にしよう
釣り場の自治体ルールに従おう
そんな中、ひとつの目安、原則とすべきはその自治体が決めているルールです。
例えばこれは大阪府が公表している大阪湾の魚のリリース基準。
ここでもカサゴ(ガシラ)などは「小さい魚は再放流」という曖昧な表現で、具体的なサイズは示されていません。そこは各々が判断しろということなのでしょう。皆さんも自分が釣りをするエリアのルールを探してみてください。自治体によって特定の魚種の放流事業に力を入れている場合があるので、そういった魚種は特に気を使いたいところです。
水産庁 遊漁の部屋
釣り漫画「放課後ていぼう日誌」に釣りのルールとマナーが取り上げられたエピソードがあり、その中で紹介されていた水産庁の「遊漁の部屋」が参考になります。各自治体へのリンク集があります。
そのエピソードが掲載されていた単行本はこちらの6巻。
最低限もっておきたリリースについての認識
基準は明確といえませんが、ひとまずこれぐらいの認識を持っていればいいのではないでしょうか。
釣りに慣れてくればそれまで経験から個人それぞれの基準ができてくるはず。
未来に向けた生物多様性のためにも、他人が釣りを楽しめるようにするためにも、そしてやはり自分自身が釣りを楽しみ続けられるようにするためにも資源の保護は意識すべきです。
自分のリリース基準を人に押し付けない
人それぞれあるリリース基準
みんな物差しが違うから
公的なルールを原則にしたとしても、明確な数字が示されていない部分は人によって基準が異なります。
その基準を判断する物差しは人それぞれ違うし、場合によってはその物差しに刻まれた単位すら異なるかもしれません。
自分自身が決めたリリース基準。信念をもってそれを守るのは未来を見据えた立派な行為だと思います。ぜひ続けてください。私は私で自分のそれを守り続けます。
お前の勝手ルールを押し付けるな
根魚警察の取り締まり
しかしその自分基準を他人に押し付けるべきではありません。
例えばSNSで根魚が大量に並べられた写真がアップされると、どこからともなくリリース警察が湧いてきては炎上するという釣りSNS界の定例行事のようなものがあります。いわゆる根魚警察です。
写真の撮り方次第でどうとでも見える魚に対して、自分で作ったお手製の物差しをあてて彼らはこう言います。「小さい」だの「産卵前」だの「一人で食べきれる?」かだの。果てには行間にすら書いてないことを勝手に想像して文句をつける悪しきムーブ。
写真と文字だけではすべてをくみ取れない
大量の魚が並んだ写真を見ると反射的に覚える不快感。それは分かります。
でもその魚が何人で釣ったものか、その後どう扱われたか、釣った人がどう考えてるかなんてわずかな写真と文字からくみ取ることは不可能。自然への感謝の気持ちが無い、無駄な殺生だ、乱獲だ、そんな言葉が出がちですが、それは多くの場合あなたの想像であり勝手な押し付けです。
他人が決めることではない
よく「食べきれる量」という物差しで他人をペチペチと叩いてる人がいますが、そんなのは人それぞれで家族構成も違うわけで、赤の他人が決めるのはお門違い。
「この道の制限速度は明確に決まってないけど、お前の車は俺の車より速いからスピード違反な!」って言ってるようなもの。まったくもって理不尽。シンプルに言いがかり。
人によって物差しは違うから
炎上に加担する前に
「なんか気に入らないヤツだから理由をつけて叩きたい。みんなやってるし。以前に悪いことをしたやつだから今回も間違っているに違いないぞ。ほらみろ、過去の発信を見たら同じことを繰り返してるじゃないか。」
私も性格が悪いからそいういう感情は理解できますし、率直に言ってネットウォッチは大好きです。いろんな炎上を見てはニタニタしています。
でも、漁船の網の中で押しつぶされそうなほどぎっしり詰まった大量の魚、そして釣り人が釣って堤防に並べられた大量の魚。受け取る印象は違うかもしれませんが、果たしてそこに本質的な違いはあるのでしょうか?
お?なんだコイツ?と思うことはあるでしょう。私もあります。でも一度冷静になってから意見を言うべきかどうか考えてみてはどうでしょうか。
持続できる釣りを考える
これからもみんなが釣りを楽しめるように考えてリリースかキープを判断しよう。生物多様性を守るためにリリースしよう。
未来を見据えてそう考えるのは立派なことです。超えらいです。
でも、まずはあなたが通っている釣り場であなた自身が釣りを続けられるためにどうすればいいか、出発点はそれでいいのではないかと思います。狭い釣り場、同じ魚種を際限なく釣り続けたら資源は枯渇してしまうかもしれません。そうしたらあなたはそこでの釣りを楽しめなくなります。それは嫌でしょ?
そうしているうちに余裕ができたらもっと広い範囲のこと、自分より外にある世界のことを考えていきましょう。ずっとこの先も釣りを続けられるように。